日曜日, 2 月 17th, 2008
最近 The Next WebのBoris Veldhuizen van Zantenでインディーズレーベルのディペンデントレコードが店をやめ彼らの全てのカタログをファイル共有サイトPirate Bayで利用可能にするという情報が掲載された、結局 Story was a Hoax,やいくつかのサイトによって訂正され掲載内容に誤りがあると言う事が判明したのだが。
ディペンデントレコードは情報の事実の確認不足をのせ、おそらく間違いない偽情報を掲載したブロガーを攻撃した。(Torrent Freakからはじまった)
ディペンデントレコードの新しいブログから
Torrentfreak.comの創立者であり、またその書き手であるErnestoはこれはメインの仕事でなく普段は会社員として働いており、広範囲なリサーチをすることは必ずしも選択肢として必要ではないことを言っている
彼は、明らかに公式ウェブサイト上でレーベル閉鎖のニュースを読んで文字通り、Pirate Bayの記事を書いたのだが Stefan Herwig になりすました人物がレーベルの名前を誤って書いてしまったという、そして、ディペンデントレーベルのウェブサイトはこの怪しい情報について触れなかった事実があり、Torrentfreak.comも文字通りのストーリーを書き写したので他のインターネットサイトの警告をしそこなった。
ディペンデントレコードのStefan Herwigは当然怒り、その誤った情報について少なくとも15以上のブログに書き示したというが、はたしてどれほど正確な情報がブログから得られるのだろうか。
私達のまわりにあった出来事の記事はブログにより拡大されて大きな影響を引き起こす。そして誰がそのブログの背後にいるのかそして必ずしもプロの記者でないということを理解していることが大変重要なことである。
たいていのブロガーの場合は いくつかの事柄について趣味の領域であるレベルで語っている。
そこは制限のない媒体で(重要な物も中にはあるとはいえ)さまざまなレベルの専門家の意見を見る事ができるというのが媒体の性質である。
ブログの世界はジャーナリスティックな完全性からはほど遠く,期待されるイメージはないというのが私の見解である。媒体は表現であってジャーナリズムの媒体ではない。
ブログ記事に対してレベルの高い信用度、報道的アプローチを期待するのはそもそも間違っているのではないだろうか。
ブログという記事は新聞のニュース欄などの報道記事とは異なり、人の感情、私的な意見が多く含まれている。
これに気づかない人達や、インターネット観覧者は非常に多い。何故かというと、New York TimesやTech CrunchあるいはThe Next Webなどの有名ブログは個人や共通の話題に興味をもっているグループにより管理されている一方で、彼らはあたかもジャーナリストとして情報の公開を行っているからである。
Torrent Freak でみられた現象だが、ブログの購読者が多く存在した場合、その群衆によりサイト自体の情報があたかも信用性の高い報道記事、報道サイトとみなされることがある。
しかしながら皮肉ではあるが、“… TorrentFreak は、信用できるニュースソースを目指しています. …”と彼らは「About」ページにてうたっているが報道サイトとして高い関心を得る事はおそらく非常に困難であり、それがブログの本質だ。
事実、このブログは ジャーナリズムでの試みではなく一つの見解であり、それら情報を共有するかいなかは読者の判断にゆだねられている。
また私がJapan Timesや Next Webのブログに記事を書く時と同様、必ずしも深い研究は行われているとは思えない。
しかしながら私的な意見や個人的見解からなる記事、それが集まったブログ、これが本来の姿なのではないでしょうか。
ブログは情報の小さな一片でありいろいろなソースから集まってくるもの。 それらは個人の表現する媒体であり、そして組織の表現する媒体でもあります。 種類によってはよくも悪くも書き手の経験により悪化させられます。 それらのソースは信頼性に限らず沢山の意見による論点になり、私達は、彼らに同じ批判または同じ疑念を与えないために、私達が従来のメディア構造を伝えることをはっきりさせなければなりません。
彼らは、すべてが彼ら自身独自の基準値でなりたちます。…そして、それについてはまた次回にでも、、、。
Posted in ウェブ基準, ディジタルメディア, ネクストウェブ | No Comments »